兵庫で田舎暮らし 〜多自然居住支援サイト〜

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田舎暮らしを始めよう

田舎暮らしの先輩から学ぼう

いつ、移住されましたか。

平成8年です。

移住前は、どこで、どのような生活をされていましたか。

最初、インストラクターとして来たときは学生で、明石の下宿で大学の3年生まで生活をしていました。しかし、震災が起こり、弟のいた京都へ引っ越しました。一応部屋を借りてはいましたが、荷物だけ置いているような感じでした。震災のボランティアに行ったり、夏場は好きなことをしたり、冬場はハチ高原でスキーのインストラクターをしていました。

移住のきっかけや理由などを教えてください。

震災のあった平成7年の年末に、スキーのインストラクターのアシスタントとしてこちらに来ました。当初は翌年3月で終わる契約でしたが、当時は将来的なビジョンを持っておらず、冬以外でも仕事はあるかと尋ねたら、夏にはロッジの仕事があるということだったので、お世話になることにしました。

実家の岐阜でスキーの仕事をすることも可能でしたが、たまたまこっちに縁があってハチ高原に来ていたので、いろいろな人のつながりができていたので決めました。

当初は、インストラクターもロッジの仕事も社員ではなく、アルバイトでした。多くの人は、冬だけここに来て、春になったら帰っていくというパターンでしたが、自分の場合は、スキースクールの宿舎で生活して、夏はロッジに住み込みで働きました。

2、3シーズンとやっていく中で、ここで落ち着いてやっていきたいと思い始め、5年前の結婚を機に、ロッジのオーナーにお願いして、年間通してお世話になることになり、今の住居を借りました。住居は旧・関宮町の町営住宅(現・養父市営住宅)です。

移住後は、どのような生活をされていますか。

最初は何もわからず、スキースクールの先輩や宿のオーナーなどいろんな人にお世話になってやっていく中で、そういう人たちと一緒にやっていくのが楽しいと感じました。夏は旅館業・民宿業などの山仕事、冬はスキーのインストラクターです。ハチ高原は、小学校や中学校の体験学習の場になるので、冬のスキー指導も小中学生に対する短期間の初心者向けのスキーレッスンが毎日のように行われています。夏は林間学校のお世話をさせてもらっており、登山のガイドのような感じで子ども達と一緒に山に登ったり、飯盒炊飯の指導をしたり、キャンプファイヤーなどの体験プログラムを紹介したりと、子どもと接する仕事が多く楽しいです。

移住前と比べて、よくなった点・悪くなった点を教えてください。

環境としては、最初は住み込みだったので、団体生活で、よその家に泊めてもらっている感覚でしたし、スキースクールでも、自分達と同じような人たちと一緒にいるので、気を使う部分がありました。それでも、他人との団体生活でも、一緒に住んでいると家族のようになってくるという部分があり、これは良くも悪くもありましたが、結果的には自分にとって大変プラスになったと思います。今でも関宮町に家があるのに、冬には、家族一緒にロッジに上がってきて、妻がスクールのまかないをしたりしている。家族を含めた大きな家族といった感じでそれが自分としては好きです。

悪くなった点は、やはり移動が不便。車がないと生活できない地域。休みを一日もらってどこかに行こうと思っても、一日に出来る用事は一つくらい。バスなどを利用するにしても料金が高い。そういう部分でお金がかかってしまう。車を運転するにしても、距離が長いので、ガソリン代もかかってしまう。

買い物するにしても、最低限のものは揃うが、大阪出身の妻にとって、あればいいのにと思う物が手に入らない。

現在のお住まいは、どのようにして探されましたか。

町営住宅に入ったのは、経済的な理由もあるし、民間の賃貸住宅も少ないし、たまたま空きがあったから。ハチ高原に結構永くいるので、空き部屋があるという情報が入り、申し込みました。町営住宅はほとんど空きがないようです。

自分以外の移住者でもそうだと思いますが、移り住むにあたって誰かのお世話にならないと絶対に無理です。親身になって世話してくれる人に巡りあわないとやっていけないと思います。

移住時に、悩んだ点・困った点などを教えてください。

公営住宅だったので、地元のしきたりなどで困ることはありません。地元以外の人も何人か居て、年齢層も若く、田舎のしきたりに縛られることはないですね。

今後、多自然居住を検討されている方に、一言お願いします。

難しいのは、やはり田舎の風習に慣れること。それは来てからでないとどうしようもないので、信頼できる人、世話を焼いてくれる人に教えてもらって慣れていくしかない。そういうことが積極的にできる人は早く慣れることが出来ると思うけど、自分は上手いわけではないので、いろいろ教えてもらいながらやっています。自分の場合は学生時代から働いていて知り合った人たちと家族みたいな関係ができていたから、いろいろアドバイスを貰って、スムーズに溶け込めた。

それと地元の言葉がわからない。どうしようもない。話の途中で言葉がわからず、何回も聞きなおしたりすると、話も進まない。風習の違いがある上に、言葉もわからなかったりすると、そこで切れてしまうような感じがする。逆もそうだが、田舎の人が都会に出ると、都会で当たり前にやっていることが田舎の人には分からない。

田舎に限らず、どこの地域にもそこの風習のようなものがあると思う。その地域のしきたり全てに自分が合わせるわけではないけど、理解をして、自分で考えて過ごさないとただストレスがたまってしまうと思う。

若い人でも、自然の中で働きたいと考えている人がいるとは思うけれど、たぶんその方法論が分からないと思うので、そういう部分を行政が情報提供や助ける仕組みを作ればいいと思います。

若い人がここで住むには、やはり仕事と住居の二つが問題。自分のようなことをしたいと考えている若い人は結構多いと思うけど、都会ではどうしていいか分からないと思う。そうなると、実現できない。夏場はこんな仕事があって、冬場はこんな仕事がありますよ、というような提示ができればいいのではないでしょうか。

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長谷川さん
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